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2007.07.04

ベルジェのガラスの大屋根(パリ、レアール)についてのメタファー合戦

 LeMonde.fr(030707, 17h15現地時間)は、7月2日に市長に提示されたパトリック・ベルジェらによるレアール新建物について、論じている。「ガラス職人頭が再繁殖させたメドゥーサ」、「波打つエイ」、「見知らぬ空間の大胸郭」などと形容されるいっぽうで、担当するベルジェらはそれを「林冠canopée」(土居注:森林の枝や葉が茂る最上層の広がりという意味だが、建築ではキャノピー、天蓋という意味にもなる)だとしている。

 ベルジェの発言を引用すると「自然は無駄な努力を受け入れない。この幾何学的に単純な建物としたかった。大地から育ったような形態、自足する建物、敷地のそのままの大きさの覆いとし、そこから庭園もサン=トゥスタシュ教会も労働センターも眺められるようにしたかった」ということである。

 マンジャンが提案した庭園がそのままガラス屋根のしたに滑り込むことで、まさに林冠となる。地下へのアクセスは改善されるであろう。

 ル・モンド紙は「レ・アールのためのガラスの傘、パリ Un parapluie de verre pour les Halles, à Paris」という見出しをつけている。つまり建築家の言葉はつかわないで、みずからは「傘」だとしている。

 不安要因としては、2012年オープンという工期の短さ、工事中、地下鉄の運行、利用者、地下街商店の被雇用者をディスターブしないことなどである。しかしとりわけ技術的課題が大きく、都市計画担当の市長の側近ジャン=ピエール・カフェ氏は「プロジェクトが機能するかどうか」を問題とするが、「乳白色、透明、メンテフリー」の素材、構造、交通軸といった実際的な問題が大きく、計画の「ポエジー」は無傷ですむかどうか懸念している。

 LeMonde紙が紹介したこうした懸念は、ペイによるルーヴル美術館のガラスのピラミッドに比べれば、まだ建築家への個人攻撃に至っていないだけましであろう。

 個人的興味からいえば技術的問題はエンジニアに解決してもらえばよいが、メタファーの政治的問題のほうが面白い。つまり、だれも気がついていてしかし誰も明言していないのが、ナポレオン3世が「大きな傘」という表現をつかったことだ。ル・モンド紙は見出しのなかで「ガラスの傘」と書いているが、建築家自身は「キャノペ=林冠」としていることの行間を悪意で読んでみることは興味深い。つまりル・モンド紙は第二帝政のなかで生まれたキーワードを使うことで、19世紀志向の建築家の方向性にそいながら、揶揄される政治家であるナポレオン3世の言葉を当てこすりとしてつかう。建築家は、自分が皇帝の夢を実現するというような位置づけを慎重に避けるために、環境思想に沿うような、庭園にあるさまざまな植生の上限においてひとつの高さをさだめ、そこをガラスのフラット屋根をおくのだ、といっているようだ。ぼくはそう解釈する。

 世界中の重要な都市がそうであるようにパリはさまざまなプロジェクトが追記され上書きされる重層的な場所である。新しいプロジェクトが、過去のどのプロジェクトと、言葉、イメージ、メタファーに関わる位置づけを得るのか、どれと連想されるのか。概念は自由に飛び交いうるものであるだけに、意中のものではない困った政治的あるいは歴史的な立場と連動しないよう、建築家も言葉の闘いをしなければならないようだ。

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