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2007.07.08

1996年10月7日「箱の家」を訪問する

 ノスタルジー。フランスのFMで同名の局があって、おもに1980年代中心のアメリカやフランスの曲を流しています。ノスタルジーとは20歳前後で聞いた曲を、40歳、50歳になってふたたび聞くことでしょう。だから80年代なのでしょう。最近は日本にいてもWEBラジオでときどき聞いています。人間はこうやって歳をとるのでしょう。

 ところで1996年10月7日、「住宅特集」誌の月評を書いていたころ、編集の大森さんに誘われて難波さんの「箱の家」を見学しました。曖昧な記憶によれば東京都杉並区だったと思います。

070708

 建築家の渡辺さん、吉松さん、穂積先生などいらっしゃって、貴重な?写真です。この箱の家は1作目か2作目のはずで、そのご長い連作にするとはとりたてて予想はしていませんでした。

 戦争直後に考えられた立体最小限住居の理念は、理念としてはそれなりに筋のとおったものだとはいえ、長い歴史でみれば戦後の一時期はそれとしては特殊な時期であったと思います。それをなぜ40年以上たって普遍化するのか、今でもじゅうぶん整理できるとは思いません。ただ21世紀をむかえた今日、建築や住宅をつくってゆくための思想が融解しているようにも感じられます。その融解したさまをそのまま住宅にしている建築家もいて、それはそれで、ひとつの見識です。しかし空間の図式をとおして思想を曲げないで表現してゆく、たとえそれが表面上は無印住宅として別のバイアスをとるとはいえ、やはり思想であろうとする最後の意志なのでしょうか。

 山本理顕さんのいうように、空間がそもそも制度そのものであるとしたら、難波和彦さんの場合は、空間は思想そのものであるといえるかもしれません。建築が思想であったことの証を示すために住宅、住宅が思想であることの姿勢を、時代や状況がどんなに変わっても貫いてゆく、そのことを脱力しながらも継続してゆく、そんな時代との添い寝のしかたを感じます。したたかに、脱力しつつ、消耗もせず淡々と。

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