東方旅行(005-006)マドリッド、トレド
(005)1987年12月04日(金)、マドリッド
アルジェリア大使館でVISA請求。金曜日14時に頼み、できあがりは月曜日。マドリッドを拠点にして近郊見学の計画をたてる。ホテルはHostal St.Maria del Mar、一泊800pts也。
(006)1987年12月05日(土)、トレド:●マドリッドからトレド日帰り。鉄道でマドリッド→トレドは91km、390pts。●建築見学。ミュージアムのファサード。Alcazarはまったく感動しなかったので写真はとらなかった。大聖堂は、ペヴスナーが『序説』でトラスパランテを詳説していたので期待していたが、そのとおりでありそれ以上ではなかったので、興味わかず。プランはフランスのゴシックをそのまま踏襲したものだが、5廊式ながら身廊は狭い。ほとんど側廊と変わらない。すなわち通常の盛期ゴシックが強い対比によるものとしたら、これは均質をめざしている。そこにイスラムのモスク建築の影響を見ることは強引すぎるであろうか。Aymntamiento, San Juan de Los Reyes, San Il de fonso:いわゆるイエズス会式のファサードだが両端には塔があるので、そうする構造的必然性はない。あくまでデザイン。Calle de Los Alfileritos:旧市街地の最も狭い街路。戦場にいった恋人の安全を聖母マリアに祈る女性の思いが・・・云々の伝承がある。Cristo de la Luz:ファサードではアーチが交差している。「光のキリスト・モスク」の意味で、ムーア時代のものとしては現存する唯一のモスク。室内は、ビザンチンの内接十字形に似た形式で4本のコラムで9ベイに区画されている。その柱頭は西ゴート時代のもの。Puerta del Sol。などなど。総じて生気のないイスラム建築の模倣。見るべきものなし。特徴としては張り出し窓が多い。
トレド大聖堂
トラスパランテ
San Juan de Los Reyes
San Juan de Los Reyes
Cristo de la Luz
Puerta del Sol
注:トレドは1986年にユネスコ世界遺産に登録された。その翌年の訪問であった。樺山紘一が『異境の発見』等のなかで、中世において閉鎖的な世界観をいだいていたヨーロッパが、1450年を前後として、古代と東方へのイマジネーションが革命的に広がり、開かれた世界観へと変貌するといったことを指摘している。そのなかで重要な役割を演じたのがトレドであって、12世紀からの大翻訳運動のひとつとして、この地でコーランをはじめとするアラビアのテキスト、古代ギリシア哲学など大量の文献がラテン語訳されたのであった。いわゆる13世紀の「トレド翻訳学派」である。紀元前のトレトゥム時代、ローマ時代、そしてイスラム時代、レキンキスタ以降。イスラム時代にあっても、キリスト教、ユダヤ教も存続していた。世界性が内包された都市であった。
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