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2007.07.22

東方旅行(001-004)パリ、バルセロナ

00119871130日、パリ

大家に挨拶。荷づくり、掃除など最後の準備。フランス軍仕様のバッグ。契約どおり、電気は14時すぎに停止。室温が急速に下がる。シュラフを取り出す。センチメンタルな別れ。タルゴにのってバルセロナへ。

 注:もう古い時代になってしまった。マーストリヒト条約以前。ソ連崩壊以前。フランス2のキャスターが、いまロシア(当時ヨーロッパ人は「ソ連」と「ロシア」をちゃんと使い分けていた)の戦車がやってきたらたいへんなことになる、などと語っていた時代である。

00219871201日、バルセロナ

駅でマドリッド行き電車の情報収集。Banque Nationale de de Parisで2万ペセタ引き落とし。バルセロナでは友人宅で居候。

00319871202日、バルセロナ

建築見学。グエル邸:壁画はオリジナルだが保存状態悪い(後注:どの部分のことだか思い出せない)。有名な屋上のアーチをとおしてサグラダ・ファミリアが望めるということだが、都市がグリッドプランでできているので、偶然といってもせいぜい数分の一ていどの起こりうる確率にすぎない。驚くことではない。サグラダ・ファミリア:都市的文脈から孤立したユートピアン、ドン・キホーテ。材料が建設年代によって異なる。石は一定の寸法で切られている(ということは石造といっても近代技術に依存している)。現代の部分は鉄筋コンクリート。とくに身廊部分の柱はRC。バルセロナ大聖堂:側廊は天井が高い。とはいえドイツの「ハーレンキルヒェ」ほどではない。身廊中央にはcoro(合唱隊席)がある。平面の形式はフランス的なのだが、合唱隊を中央におくのはスペイン独特である。身廊の入口から一直線に内陣へのむかう軸線という空間のダイナミズムを犠牲にして、むしろ分節化しようとしている。空間意識がまったくちがう。超越的なものをむしろ拒んでいるようにも思える。大聖堂付近のパラッツォ:最上階が吹き放ちのギャラリーになっており、フィレンツェのパラッツォのよう。しかし切石のひとつひとつはフィレンツェよりかなり小型。このことは一般的にバルセロナの建築には妥当する。これが地方色というものか。

雑用。駅にて:バルセロナ発マドリッド着の切符購入。2等寝台。5225ペセタ。下調べ:Madrid, El Escolial(Avila), Seville, Granada, Toledoなどでなにを見るか。

00419871203日、バルセロナ

建築見学。S.Maria del Mar(注:14世紀。アラゴン=カタロニア時代の中世後期のナショナルスタイルである「カタラン・ゴシック」の教会堂。バルセロナ大聖堂のプランを踏襲。しかしここで独特なのは、本来ならばいわゆる六分ヴォールトとなるはずだが、四分ヴォールトとし、柱の数を少なくしていることだ。身廊のベイは、長方形であるはずが、広い正方形ベイとなっている。街区のホールとしての教区教会にふさわしい広々とした室内となっている)。Museo Picasso。オリンピック施設。磯崎新の体育館が建設途中であった。屋根はまだ架かっていない。万国博会場(ミースのドイツ館を含む)。ミースのドイツ館はなかなかよい。これほどの抽象はスペインにとって異質ではないかと思った。しかし「水」がキーワードとなる。イスラム時代の建築には中庭に泉水がよく使われた。するとこれはスペイン風パティオのつもりだろうか。アメリカに渡ったミースは資本主義の都市が要求する抽象をよく理解していた。だとしたら意外と柔軟な建築家ということになり、これほどつまらない解釈もなくなる。グエル公園。想像した以上のものではない。

雑用。郵便物を発送する。/コピー

旅行情報。/バス:テヘラン~エルズルム:所要28時間。1255km。直行バスはTahran Turismで週6便。/マドリッドのアルジェリア大使館のアドレス(Zurbano 92, (M)N.de Balboa, lu-ve 9h00-14h00, sum. 10h00-13h00)。/パリへの電話;07-331-4….

注:バルセロナはカタルーニャ自治州の首都である。もともとスペインは、宗教的にはイスラム教、キリスト教、ユダヤ教が共存しえていたし、歴史的に地域の自立性が強く、自治州からなる一種の連合国家であるという人もいる。通説によれば、ハプルブルグ家はそのことをよく理解していたが、ブルボン王朝はあえて中央集権体制をもちこんでスペインを停滞させた。フランコはタブー化しているが政策は悪いことばかりではなかったようだ(だからなおさらタブー化される)。

バルセロナは都市経営の戦略がしっかりしている。1859年、セルダーのグリッドプランにもとづく市域拡大計画。これはパリの近代都市計画が国家主導であり、ナポレオン三世下でオスマンが展開したものであることと対照的に、バルセロナ市が中央政府に市域拡大の許可を申請したものであった。それだけではない。1869年に高等教育としての建築学校が創設されている。ガウディもそのOBである。1888年の第一回万国博、1929年の第二回万国博。第二次世界大戦とフランコ政権の時代は不幸であったが、1975年にそこから脱却すると、1992年のオリンピックと万国博、そして現在の旧港湾地区再開発と、地域がみずから舵取りをする都市経営、地域経営がみごとである。

ブルターニュと比較するとおもしろいが、まず19世紀中に建築学校が設立されていることが共通している。そこで地域の文化を担う人材が育成される。さらにその延長にカタルーニャ・モデルニスモが展開される。通常この運動はアール・ヌーヴォーの一部として見なされるが、そこには地域の自立性という文脈がみえる。ブルターニュも同時期、意図的な地域主義の動きがあったからだ。すなわち伝統/近代、中央/周縁ではなく、その対比ではなくリージョナリズムそのものへの志向。

政治的には19世紀後半は、地方分権への動きがヨーロッパで広範におこっており、首長公選などしだいに実現されている。おそらく、すくなくともフランス革命以降は、中央集権と地方分権はおたがいに綱引きを繰り返してきたのではないか。その文脈で建築も見なければならない。たとえば20世紀初頭の近代建築運動の立役者たちのうちの少なくない人びとは地方自治体の建築家であったことは何かを語っている。

ところで日本人はいつからバルセロナに親しみを感じるようになったか?基本的には、ガウディについては早稲田派が主要なレセプターであった。一般的なツーリズムの対象となったのはやはりフランコ政権以後であったように思える。その崩壊が1975年。松任谷由実の『地中海の感傷』が1978年。なんというマーケティング力。ただしスペインにある上等な茅ヶ崎というイメージのような気もする。

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