中谷礼仁『未来のコミューン』

 中谷礼仁さんからいただいた。ありがとうございます。
 住宅とコミューンについて論考したこの書は、定番的なアプローチをとらず、著者自身の心の流れにまかせたような書き方と題材のならべかたになっている。だから学術書ではない。あくまで唯一無二の著者・中谷礼仁の心の旅である。
 全体としては3部構成である。生きている家と生きられた家を相関させた死生を包含した住宅論。つぎに、そうした宗教的なものを含んだということでは共通している、西洋にもあった原罪論からそれを脱色した生政治・生科学からの住宅論。そして家、家族、住宅そのものを人間とコンテクスト(環境・社会)との関係の不調としてとらえそこからの脱出を考える、ときに宗教的ときに病理学的な、理想のコミューン論。こうならべると枠組はみごとに構築されている。やや恣意的で過小ではないかと思われる題材の選び方も、むしろ中谷礼仁の自然な関心の流れというように理解できる。学術的でもありながら、私小説的でもある、この矛盾した印象はそこからくるのであろう。
 第一部「家の構成」では、柳田の有名な子殺し事件と今和次郎の描く民家のなかの少女の位牌とが対比的に述べられる。篠原一男《白の家》の黒扉から、民家のナンド論、インドネシアの伝統住宅を貫通して、住宅のなかの人間の誕生、生、死をみようとする人類学的視点は面白い。「三匹の子ブタ」に資本主義的勤勉さの教訓と、勤勉が救済をもたらすという宗教的バックグラウンドはそのようなものであろう。ただし三匹目の子ブタの煙突(オオカミをやっつけた)逸話から、煙突、水洗トイレに及ぶのはやや飛躍の感がする。ワンスワース邸が登場するのもそうである。そこから白井晟一のトイレのない住宅の逸話はそうなのだし、それが原爆堂の黒シャフトの貫通に及んでは、もうひとつ概念がほしいところである。ただし欠点をあげつらうというより、なんとか論を貫通してほしいという願いを読者はもつ。後段でいう水平と垂直の弁証法をここで前だししているのだから。
 第二部「近代家族」では研究室テーマであったアドルフ・ロースの『装飾と犯罪』がとりあげられている。近代建築の原イデオロギーでもあるこの書を、キリスト教的社会における原罪、それがもたらす恥じらい心情としてとらえ、当時のヨーロッパ人たちの文化人類的パースペクティブを参考にしながら、ジョゼフィーヌ・ベーカー邸の身体の誇示にまで言及し、恥じらいの克服を指摘する(はいいが結局ロースは古かったということ?)。さらに上野千鶴子、カール・マルクスらの家族論、ハクスレーの『すばらしい新世界』、ハワードの田園都市論が貫通的に論じられる。顕微鏡で微生物を観察するように、都市計画は人間たちをそのように位置づけるというくだりは、知の構図論として興味深い。ただしマルクスが家族論を論じた19世紀中盤は、まだ近代家族の黎明期であって、個人的理解では、上野たちの批判的家族論が対象とする近代家族は20世紀初頭に登場すると思えるのだが。
 ここで生権力により設計された近代住宅は、まさにフラットであったことが暗に述べられている。垂直と水平の弁証法は消えている。この明確な構図は、気づかれたものの、論じつくされていない。すこし残念ではある。
 第三部「未来のコミューン」が本書の核心であろう。アーレントの労働概念、ウェーバーの宗教社会学を基礎理論としながら、戦後のいくつかのコミュニティがこれも貫通的に論じられる。シェーカー・コミュニティ、ヒッピー運動、マンソン・ファミリーにかんする詳しい調査が紹介される。中谷礼仁は、精神の失調は人間と社会(文脈)の関係のそれだというように位置づけながら、アレグザンダーのデザイン理論、ガタリの器官なき身体論、などの理論により解析する。そしてキングズレイ・ホールにおけるコミューンの実験(?)において、この関係の病が克服されようとしたことを希望のひとつとして論を終えている。
 垂直/水平論でいえば、資本制的なオイディプス=コンプレクス、あるいは戦後アメリカのある種のコミュニティにおける父イメージは、意味的には垂直性であろう。そうすれば中谷礼仁のこだわりは水平的なものなのかもしれない。ではあるが、すると柳田的なもの今的なものには賛同しているように見えることと矛盾しているようにも思える。あるいは前近代の垂直/水平構造は認められても、近代における十字構造は擬制なので認められないということだろうか。論考の余地はまだまだ残されている。
 1965年生まれの中谷礼仁あるいは彼の世代にとり、たぶん人民寺院事件(1978)は衝撃であったかもしれない。新宗教事件(1995)もそうであっただろう。世代的にある種の共同体やコミューンを指向しながら、時代はその挫折として現象するという、そのトラウマがあっても不思議ではない。中谷礼仁自身は状況に還元されることには不満であろう。しかし自由奔放に対象から対象へと飛躍するその筆致は、むしろ率直な信仰告白のような物語にようにも思える。
 ただ、もちろん遅れて出すことは悪くはないが、これは90年代あたりの状況を、著者自身が客観化できてはじめて書けるようになったもののようにも思える。つまり人間と文脈の関係の不調というと、あたかも社会がしっかり悪安定しているかのようだが、現在はむしろ社会が不安定であり、これからは新たな社会統合が求められている。公権力が提供するいわゆる公共ではなく、ボトムアップ的なコモンズが語られたりするのが現状である。そういう意味ではふたたび現代と接続されてもいる、というべきか。
 そして中谷礼仁はどこへゆく?本書の冒頭では日本民家における子殺し事件と子供の位牌からはじめ、べてるの家というコミューン的自助建設というエピローグで締めくくるのは、いわゆる近代住宅から最大限の距離をとろうとしているようにもおもえる。そこに約束の地はない。しかしそれでも彼は旅せねばならないのである。

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2018.11.06

後藤武『アナトール・ド・ボドーのシマン・アルメ建築生成に関する研究』

後藤武さんから博士論文が送られてきた。ありがとうございます。

ベトン・アルメ(鉄筋コンクリート)が一般的になるまえに考案された別の近代テクノロジーと、ヴィオレ=ル=デュクの建築思想をうけつぐド・ボドーについての研究である。19世紀フランスは様式だけでなく技術探究も自由闊達になされていた。それを紹介するもので、学位請求論文としてはトップクラスで、充実している。歴史的そして理論的な枠組はしっかり整理されている。アーカイブも丹念に調べられている。建築にたいして建設的な批判性もある。

後藤さんはすでに実績のある人なので、一方的に評価してやるという態度は失礼であろう。またご自身の建築的アプローチそのものを社会的に(業界的に?)認知された論客でもあるので、発展的な感想を書いても許されるであろう。というか内容を腑分けして個々に話題にするたぐいの即物的な論評ではなく、読者にもたらす妄想のようなもの(そういう論文は数少ない)を率直にお伝えするに値する内容ではないか。ということでそういう率直さはそそうになりかねないことも承知で、批評というより感想文をかいてみたくなった。

世代や出自をどうこういうのは、はしたない。でも彼は、事務所HPでは書いていないし確認はしていないが、表象文化論のご出身(すくなくともいわゆる人社系)ではなかったでしょうか。大学院から建築をはじめ、そののち大学教員、自営、ふたたび大学院と平行してつづけられ、なおかつ設計、出版と業績をつまれた。ようするに多方面であり、総合的である。自営の建築家であるとどうじに、理論や歴史にも強いということが、じつはオーソドックスな建築家像である。それがフランス19世紀建築にとりくむにふさわしいバックグランドであるといえる。

おなじような感想を故丹羽和彦さんについてももつ。日本における近代建築の拠点・旧日本電電からフランスに留学し、エコール・ポリテクニクやアンリ・ラブルーストを研究する彼もまた、総合的な建築家として、まさに建築家としての総合性が実現されていたかのようなフランス19世紀にとりくんだのであった。

19世紀フランスには、いわゆる意匠、構造、歴史、平面などを総合的に考えるある意味で理想的な建築家が一般的であったという(ある意味極端な)仮説からはじめるとよく整理できる。研究対象のもつこういう性格がそれにふさわしい研究者を呼んでいるのだと、遠目には映る。

いっぽうで一般的な話として日本、フランス、英米などの建築をほんとうにフラットで普遍的な枠組で語れるのだろうか、というのが専門家としての疑問である。というか絶望である。ちょうど10年前、「保存がモダンを生んだ」というようなことを書いた。

http://patamax.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_91e6.html

西洋では当たり前の図式である。しかし日本では、過激な近代化が伝統を破壊したという主旨の近代化批判の意識から、近代へのカウンターとして保存が位置づけられる。でもそうではない。

そうしたことを蒸し返したいのではない。しかし文化圏が異なれば、このグローバル化時代においてさえ、パースペクティブは共有されないのだなあという達観がある。

よくヴィオレ=ル=デュクは保存修復家でありながら、建築家としては新築もするし、理論も歴史もやったマルチな人だったということにされている。そうだろうか。かれはシンプルに建築をやっていただけではないか。すなわち理論というより、建築を成立させる原理のようなものがあれば、あとはそのさまざまな具現に過ぎないと考えていたのではないだろうか。修復という実践のなかで、構築の原理を再発見し、その原理とやらを普遍的なものに鍛え直すというある種の理想主義があれば、それをこれからの建築(まだ到来していなかったいわゆる近代建築)にも適応できる。

このようなシンプルな建築家像が描けないのは日本的な特殊事情である。すなわち欧米からの移入とすばやいカスタマイズのなかで、細かな講座制(分野制)という(それ自体はきわめて効率のよい)独自の建築学を発展させてしまったので、逆メガネが発生してしまい、日本的枠組を逆投影して、先進国の建築学の講座制はいかに、ヴィオレ=ル=デュクは講座制を乗りこえている、偉い、などという発想となる。

日本的勘違いは、なんとか主義というレッテルを事後的にかってに貼り付けてしまい、かってにはりつけたレッテルの本質がよく見えない、あれとこれが矛盾しているという、自作自演であることにさえ本人が気がつかない西洋建築文化受容である(後藤さんがなんとかしてくれるでしょう)。

ところが建築のグローバル性を考える上ではフランス的/アングロ=サクソン的というもうひとつのやっかいな逆メガネもあるというのが愚説である。愚かしい日本からの逆メガネはすぐ見抜ける、英語圏のものは手強い。

結論だけいうと、ギーディオンの描く近代建築史はアメリカという巨大市場向けにかなりヨーロッパを歪曲し、単純化したものであろう。フランプトン理路もよくできてはいるが、見事な事後的整理というものである。しかし、あくまで個人的にだが、ぼくは信じない。あらゆる遡及的な整理整頓はそれそのものの限界をもっている。まず信じないことを大前提とする(方法論的懐疑にちかい)。後藤さんのド・ボドー研究も、後追いであるフランプトンの二元論を前提としなくとも成り立つ。

 後藤さんのD論が素晴らしいのは、綿密なアーカイブ分析から出発しているという点である。それにより、観念的構築物である史的枠組みを提供したギーディオンもフランプトンも不要な地平に、すでに到達しているのではないか。そこが肝心。ヴィオレ=ル=デュクらが他分野概念を建築に適用したように、後藤さんも借用先そのもの選択がより意義深くなるようにするか、それこそ創造的な建築家としてオリジナル枠組を考案してもよい。そうすれば広島の日本建築学会大会で議論した、日本なりにではあっても日本的な西洋建築史研究もできようというものである。

 今後については2点くらいいえるであろう。

 まず建築学会的な動向調査として、ひところ隆盛であった建築のサイン性、映像性、文化表出論(表象論というと怒られそうですが)はそれなりに収束しはじめ、これからは建築構造などのモノの世界を文化論的に論じる時代となるであろう。これは予測ではなく、若い研究者たちが基本的なレベルから堅実なスタディをはじめているので、これから充実した成果がでるだろうという、予定表の次元である。構造史などとう括りも出てきている。その成果として、たとえば水晶宮を近代建築のはじまりとしたギーディオンの近代建築史を根本的に見直して、(べつに国粋主義になるのではないけれど)日本人ならではの西洋建築史研究もできるであろう。その勢いでフランプトンなども(リスペクトはつづけてもいいが)相対化できるであろう。

 そのなかでフランスの19世紀というきわめて面白い時代の理解も深まるだろう。とくに「折衷主義」の再解釈が鍵となる。すなわち19世紀建築にたいする偏見で、様式なるものを、建築の外観のみのために、とっかえひっかえ交換するだけで、建築の本質をなにも考えなかったとされる折衷主義である。じつはそれは20世紀初頭のいわゆる近代建築運動の人々が19世紀に勝手に貼り付けたラベルにすぎない。ではだれが、ファサードしか考えなかったか、本質を考えないで表層ばかりに走った建築家はだれか、名前をあげてみよう!なる設問をしてみる。すると戦犯はいても、ほとんど二流の建築家ばかりであろう。ゼンパー、ラスキン、ヴィオレ=ル=デュクという折衷主義の屋台骨を支えた人々は、じつは大文字の建築理論を構築した人々でもあった。しかし表層的な19世紀批判をまともにうけとっているのが、ギーディオンの御説を真理とうけとっている日本の旧世代であった。

 この研究は、19世紀と20世紀の切断と対立という古臭い枠組をいちど破壊して、新しい展開を示す好著となるであろう。

最後に思い出話。ぼくの記憶が正しければ、ぼくと後藤さんは20年ほどまえ、紙時代の10+1でいっしょに仕事していたはずである。若くて才気走っていた後藤さんの鋭い議論に、すでに中年になっていた鈍重なぼくは、たじたじであった。もともとぼくには文系コンプレクスがある。それはいいとして「建築は可能か」(結論)とか、建築の根源におけるねじれとか、ぼくがそういう言い方はできないのは悪しき業界人であるからであろう。それもいいとして意外な展開というべきか、19世紀との親和性を発見されたのはベンヤミン的でもある。後藤さんならご存知であろうが、ベンヤミンもまた、ギーディオンによる19世紀建築研究を国立図書館の閲覧室でこつこつ転記しつつ、脳天気にまで楽観的なギーディオン史観とはまったくちがう19世紀建築論をつくったのだ。もちろんベンヤミンと同じことをするとは思ってない。わからないけれど、ぼくが注目するのは、後藤さんがこれからなにと戦うのだろうかという点である。全体の構図からいえば、近代建築の枠組、近代建築批判の枠組など、さまざまなパースペクティブのゆがみをていねいに正しながら、過去ではない現在性としての対象を再発見しつつある。ぼくみたいな小物ではなく大物と戦ってほしい。とても面白そうである。

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2018.08.10

辻泰岳『方法としてのディスプレー:国立近代美術館の会場設計について』

近美が竹橋に建設されるまえの京橋時代の、主要な特別展(企画展)の展示形式と内容を論じている。『文化資源学』に掲載されたものというが、読む機会があった。

「世界のポスター展」「日米抽象美術展」「現代の目:日本美術史から」「現代の目:アジアの美術史から」「現代の目:原始美術から」をおもに論じているが、年表にはほぼすべての企画展が列挙されている。

そのなかで丹下健三ら建築家がアーティストと共同することで芸術の総合という概念をいだいていたことや、とくに丹下が世界を俯瞰して歴史主義のパリと行動主義のニューヨークを比較しつつ日本は行動主義にならうべき(常設展より企画展中心にすべきという意味?)と述べていたことが強調されている。さらに全体の企画方針としては啓蒙的意図が強かったことも。

照明や壁面といった細部も検討している。ただ理念をもって、論文のまとめとしている。シリーズ的な「現代の目」で問われていたのは、企画者たちが意識していた「われわれ」がどう確立したか、つまり日本、アジア、原始といったシリーズにおいて違う価値のものを見ることで「われわれ」が確立されようとしたか、ということであった。そこに美術館そのものの姿勢をみようとしている。

論文の組みたてとすると、展覧会における展覧意図と、美術館運営方針のような上位のレベルのものがやや混同されていないかと心配ではある。このあたりはもうすこし段階的に論を組み立てる必要もあったのではないかと思われる。とはいえ、たぶんそうなのであろう。

個人的には年表がおもしろい。1949年から1969年までの展覧会一覧でもあるのだが、個々の企画における意図の上位にある、美術館そのものの運営意志がおぼろげながらにわかる。それはかかわった人びとの集団意志でもあるかもしれないが、美術館を意図してドライブした運営主体の意志のようなものである。おそらく運営もまたいくつかに階層化されているのだろうから、階層ごとに展示意志をわけて分析するのもよいと思われる。MoMAとの連携があったというのも重要な点であろう。

個人的に記憶にのこっている展覧会は、まず磯崎新『間』展であり、これにより日本建築への関心はヨーロッパで格段に広まった。つぎに三宅理一『日本のアヴァンギャルド』展である。日本と西洋を、共通の指標で切ってみようという野心的なものであった。それから後にも先にもポンピドゥ・センターの『パリ/ウィーン』展は濃厚であった。

展示される作品以上に、企画には強度のある思想や意図があってしかるべきである。思想(あるいは批判性)のない展覧会はつまらない。そういうことでいえば『建築の日本』展はひさびさに展示意図について議論がなされている。

建築展についていえば、もともと日本には開催はすくなかった。しかし近年では格段にひろまったという印象である。ただし平均値的にはそれらは広報的であり一般的な意味での啓蒙的なものにとどまっている。ちょうど建築雑誌が企業広告的であり深い批評はなかった過去を思い出してみればいい。西洋とは逆で、日本に批評性のある建築展がなされるのはこれからかもしれない。そういうことで著者の作業は時代の求めに応えるものであろう。

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