2018.01.19

学としての建築

昨日、日本建築学会の建築雑誌編集部ご一行様が研究室にこられた。「留学」について意見交換をした。同僚たちと取り組んでいる「環境設計グローバル・ハブ」を宣伝していいということなので、準備もした。「留学」はグローバル化時代の重要項目なのであるが、関連する事項も多く、ミーティング、懇親会、二次会になっても議論はおわらない。

そういうなかで「学としての建築」が甦る。ぼくが大昔、修士論文で建築アカデミーを論じたとき、建築をひとつの学問体系、教育体系としてとらえなければならないと主張したことによる。とはいえこのときは、西洋の17世紀と18世紀の、古典的な時代についてであった。

「留学」について語るとき、それは19世紀から今日の21世紀までとなる。すると建築の「学」というものは、設計事務所、アトリエ、専門学校、大学、大学院という場で展開されるものになる。すると留学は、アメリカかヨーロッパかアジアかという行き先だけでなく、どの学がどの制度で展開されるどの場なのか、ということを考えねばならない。留学は、教育、職能、資格制度、思想文化などとふかくかかわり、建築の体系を成長させるための揺籃のようなものである。そして21世紀にはそれ特有の留学のあるべき姿があるのであろう。なるほど、日本建築学会からの重要な問題提起ということで、納得である。

そのうち「建築雑誌」の特集になって公表されるそうである。楽しみである。

そういうわけで、ここでは雑談的な余録をのこしておく。ぼくが個人的に尊敬する留学は、まずゼンパーのパリ留学(1830年ころ)とロンドン亡命(1850年ころ、かつては留学=亡命であった)である。マリオ・カルポ『アルファベットそしてアルゴリズム』の面白さを若い先生方と共有できたのでうれしかったのだが、ゼンパーはベタな折衷主義者ではなく、まさにアルゴリズム構築者なのであり、つねに移動しつつ、移動したからこそ、特定のコミュニティ内部に自足しない普遍的な理論を構築できたのであろう。

岡本太郎のパリ留学(1930年代)もまた、真似できないなにかである。20世紀の核心、当時の前衛思想をとらえているような留学である。のちの東京計画や丹下健三との関係もあるが、モースの贈与論やバタイユ思想を参考にした論考は、やがて沖縄論や東北論となって結実する。これを含まない20世紀論は貧相なものとなるであろう。パリ留学者として後輩にあたる(などという身勝手な自己評価)ぼく自身にとってもまだまだこれから消化すべきものを含んでいる重要課題でありつづける。

ぼく自身は1980年代中盤にしばらくパリにいた。立派な建築家になろうとおもえばアメリカに留学すべきであった当時、パリを選ぶのは伊達粋狂であった。シャンソンも映画もそこでは終わっていた。そのパリで、国家を背負う使命感もなく、革命をもちかえろうという正義感もなく、亡命というほどの大仰さもなく、当時の流行であったモラトリアムであった。仕事もせず、奨学金ですくなくとも8年間は生存させてもらっていたぼくの20歳代。それは真空であった。その真空のなかで、パリを経験させてもらったことは僥倖であった。それは謙虚に感謝しなければならないもののようだ。

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2017.12.20

伊藤公文『百書百冊』

伊藤公文さんから賜りました。ありがとうございます。

鹿島出版からの出版物における、書評集、エッセイ集である。高階秀爾(フォシオン『形の生命』)、伊藤ていじ(山本学治『素材と造型の歴史』)、桐敷真次郎(ギーディオン『機械化の文化史』)などの書評はお宝であろう。批評されている文献、批評する学者がそれぞれ時代性とレイヤーをなしており、数十年経過したいま、それらは多層の読解を求めてくるのだが、その時差のおりなす空間のなかに、書物の時代性とともに永遠性もみえてくるのである。

ぼくの書評としてはフォーティ『言葉と建築』と、リクワート『アダムの家』が再録されており、ありがたい。

フォーティについては、ロンドンの宿でページをぱらぱらめくって拾い読みしたときのテーマの切実感と、日本で翻訳を読んだときの、切実感が遠のくような、その差が印象的であった。つまり伊東忠太が「建築」という訳語を考えたときの切実感を、後世の日本人はみんな忘れてしまったが、おなじような感覚で、多くの建築用語の成り立ちの安定/不安定を考えはじめたら、不安な気持ちになるというものであろうのに。

リクワート本の書評については、だいぶ時間もたっているので、客観的に自分をみれるというか、ああしっかり書いているじゃないか!と思った。アダムの家、なのだから聖書起源論の発想なのだが、その点もしっかり指摘していた。ただもういちど考えてみると、さらに奥がある。すなわちそれは、アメリカにはよくある、いわゆるキリスト教原理主義の発想とほぼ同じなのだが、リクワートとのつながりはどうなのか。また近代的な進歩主義思想により、キリスト教的歴史観が覆されたのは19世紀である。19世紀においてもなお、神が世界を創造してからまだ数千年しかたっていないと信じられていた。そして物理学、天文学、文化人類学が、数十万年、数十億年を発見したことが一般的な常識になるのは近代もずいぶんたっててからである。

つまりリクワートが、建築の起源は、アダムの小屋である、あるいは出エジプト記に描かれた砂漠の幕屋であるなどということを書くのは、科学ではなくあくまで信仰として割り切って、聖書から象徴的説話を抽出したのであろうと、一般的な読者はおもっている。しかしリクワートその人の個人的信仰のなかからでてきた否定しがたい聖書ヴィジョンであり、それは近代初頭の西洋人のそれとほとんど地続きであるとしたら、どうなのであろうか。そして「モダニズム」もこうした思想の連続性を、じつは、否定したのでもないのだ(無関係になにかを創造したことはあった)。

などと発想することが、自分自身の書評を再読することの面白みなのであろう。

ともあれ優れた断片がたくさんつまったこの書物を座右において、ときどき眺めよう。ブランデーを味わうように。速読、通読にはもったいない。

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2017.12.18

豊川斎赫『丹下健三 ディテールの思考』

豊川さんから送っていただきました。ありがとうございます。

『ディテール』誌に掲載されたものをまとめたものであり、代々木体育館のサンスペンション構造はもちろん、東京カテドラルのHPシェル、山梨文化会館のジョイントコアなど、作品にそって特徴的な構造、構法が説明されている。

あとがきにフランプトンの『テクトニック・カルチァー』が紹介されているように、テクトニック(結構)もまた、ゼンパーの発想を継承するとすれば、思想が含まれるし、文化でもある。

建築なるものについての議論のなかで、技術決定論も、機能決定論も、素材決定論も、時代精神決定論も、経済決定論も、政策決定論も、あった。そのなかで技術とは、力学的安定にかかわる構造にも、室内環境調整のためのビルディング・スキンにも、かかわることに異論はない。

しかし技術は、自己更新するがゆえに、合理的解決というみずからの論理により陳腐化し、否定されもする。ギーディオンの『機械化の文化史』のように、今の機械ワンダーランドは、近い将来に懐古主義的になる。するとやはり、19世紀の鉄建築をやはり懐古的・回顧的に回想したベンヤミンの語りが、むしろ永遠のものとなるのであろう。

そういう気持ちで本書を読むと、豊川さんはむしろ過去の技術を、同時代的に再現し、臨場感をかもしだそうとしている。そういう点では、丹下はまだまだ過去ではないのかもしれないし、岡本太郎の太陽の塔も、それを完全に過去のものとするほどには、日本建築は進んでいないのかもしれない。

豊川さんは、日本設計勤務の経験があるので設計実務もわかり、建築史研究室にいたのだから歴史もわかり、今は都市環境を教えているようなので、建築史の枠組みをこえた、新しい語り口を展開するかもしれない。

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