2017.01.13

有言実行、今年はこれをやる

(1)本をだす

もう校正は済んだので、予定というか、ほぼ確定なのだが。久しぶりである。西洋建築史をテーマとして、比較的まとまった分量であり、考察もしている。三部構成である。まず西洋建築の古典的名著の翻訳。つぎにこの名著に触発された代表的な建築史家たちがそれをどう解釈したかの、解釈史、学術史。最後に、これら先行研究を研究史的に位置づけたうえで、この名著そのものと、その解釈史を総合的に点検し、さらにぼく独自の?建築観を披露するという欲張ったもの。この研究スタイルそのものを、日本人によるあるべき西洋建築史の研究スタイルとして主張したい。

(2)グローバルな建築研究教育組織をそだてる

すでに1月1日、制度的にはたちあがっている。これは九大にできた「環境設計グローバル・ハブ」、略称eg-HUBというもの。つまりイージー・ハブ。ほんとうは深刻な課題も、外国の研究者や学生といっしょに自由かつフランクに検討していきましょうというものである。アジアがベースだが、ヨーロッパとのリンクも忘れない。ぼく個人はあくまでヨーロッパベースであり、個人的にアジアなどをこれから研究するわけではない。ただぼくは初代ハブ長ということで、管理運営の立場から、これから日本やアジアをささえてゆく若い世代のお手伝いをするのである。

(3)最終講義をする

首都圏某大学から、大学院で非常勤講師をするオファーをいただいたので、快諾した。大学退職まで若干の時間はあるので、おおげさだが、気が早いという性分はおさえられない。ということで最終講義のつもり。勤務する大学では、本省からのお達しでやれ成果、やれシラバスなどで本音のこもった授業はしずらい。いわゆるお子様ランチ。必要項目はもれなく、いわゆる教育的な立派な講義をするのである。しかし未来を見据えたチャレンジングなことは遠慮がちになる。だから場所をかえることで、挑戦的萌芽(なんか変な表現だが)をする。

(4)身体を鍛える

さすがに歳をとったので、身にしみてわかってきたが、身体は日々衰退するので、日々発展させようとしないと、帳尻があわない。マイブームの過去ログによれば、水泳(ヨーロッパの公共プール巡りという余録もあった)、ジョギング(海外の都市歩きというおまけあり)、フィットネスクラブ、ときて最近はアメリカ伝来の室内有酸素エクササイズ。といっても一〇年まえに流行ったなんとかブートキャンプなどという負荷の大きいものではない。ほんとうに自分にあったものを体得するのは時間のかかるものであるが、最近は、満足率80%くらいで、いい感じである。

(5)研究計画をたてる

これも趣味のようなものだが、これからの研究テーマはいくつあるか、ということを考えてみる。翻訳してみたい文献は、どう少なめにみても、五冊はある。市場性を無視すれば一〇冊以上、とても時間はない。書物の出版というような形で論考してみたいテーマも、五つ。ごく趣味的なくだらないテーマをいれると一五ほどか。これらを秘密のサイトに書き込んで、楽しみにとっておく。

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2016.12.18

SD2016/1980年代生まれ論

鹿島建設から「SD2016」を送っていただきました。ありがとうございます。

鹿島賞《幼・老・食の堂》は、機能の混在した複合的な住居で、いまどきで面白い。20世紀の機能分化とはちがい、21世紀は、形態ではなく組成で都市を語るのであろう。いっぽうでビッグデータを活用した、さまざまなレイヤー(気象、人口構成、地価、・・・)のデータマッピングがある。たほうで、個々の地区、建築はそれら多層のレーヤーの重なり方として現象する。だからひとつの建築を語ることで、都市を語ることにもなるのだが、個々の建築プロジェクトのなかで、それらさまざまなレイヤーをどう組み合わせるか、それは普遍的枠組みのなかで個別解を模索するような、タフな仕事になるであろう。

ノミネートされたなかに佐藤信《だぶるすきんの家》があるのは喜ばしい。ぼくの研究室のOBだからである。

最近、学科の研究室案内会でもさんざん自慢したのであるが、ぼくの研究室から百枝優、佐々木翔、佐藤信という3名で4回の、SDレビュー・ノミネートである。設計の研究室でもないのに、3名のべ4回の同賞入選は日本広しといえども、ここくらい、類例は希少であろう。

おかげさまで今年のぼくの設計課題は、常勤にくわえて、研究室OB2名のSDレビュー入選者に非常勤としてきていただき、完全自給体制を構築できたのであった。ここに赴任した頃、やはり建築家の先生は東京から招待するしかないなあと考えていた。それと比べると、状況はかなり変わり、充実感もある。

1980年代生まれの人びとは面白い。36歳未満の人びとなのである。上記OB3名もそうである。さらに最近、新任の教員としてきてもらったり、なにかの機会に話したりすることが増えた。この世代が頭角をあらわしつつある時期なのである。

そこで世代論を考えてみて、やっと気がついた。1970年代生まれは、人口ピラミッド的にはそうではないが、文化的には、実質上の団塊ジュニアである。個々につきあってみると、彼らは偉大な親世代の価値観に共鳴し、それを継承しようという共通傾向にある。ただしいちばん継承すべき、批判精神みたいなものが薄いのは気がかりではある。彼らのいうことは、いちいち正しい。しかし驚きはなく、既知感しかない。

それにたいして1980年代生まれは、そのような大前提がない。だからそのひとオリジナルのアプローチや、方法論が、会うなりすぐわかるという印象がする。すくなくとも、自分で考えているという、素直な感じがする。いまの助教クラスのかたがたは話していて楽しい。これは実質的な、ポスト団塊世代の、本格的登場といえるであろう。

わが研究室OB3名に戻ると、それから学科OBで活躍している建築家たちをみると、ある顕著な傾向がある。つまり学生のころから、じぶんなりの設計の方法論をしっかりもち、大学の設計課題や、就職してからのプロジェクトをこなしながら、それらを縦断して、自分のなかの萌芽的なものを育てているというアプローチである。古い世代に問題意識はなかったとはいわない。しかしこの若い世代のような、自分自身にとってのテーマ設定のようなものはなかった。だから、ここでも1980年代生まれは、まったく異次元のものをつくりつつあるという印象である。

中央と地方の格差は、とうぜんある。情報化により縮まるとみえて、逆説的に、広がりつつある。地方に建築学科ができたのは、基本的に、戦後なのである。戦前からある建築学科しか知らない中央の人びとは、その事実の重みはまったく理解できないであろう。ただ逆に、たとえばアジアを考えてみる場合、状況は日本の地方に近いのも事実である。考えようによっては、不利を反転できるかもしれない。

たとえば1960年に新設された建築学科の最初の入学生は、2007年に定年退職である。つまり地方では、建築業界の自給自足がやっと1サイクル終わったばかりである。成熟はこれからなのである。それにたいし数遊びをするなら、たとえば1985年生まれは、2003年に大学入学し、2007年に学部卒、2009年にM卒、そして2016年に大学非常勤というわけである。だから、1980年代生まれ、上記のぼくの研究室OBは、第2サイクルの人びとである。そういう歴史的、世代的位置づけである。

とはいえ大学のこれからはきびしい。2018年から18歳人口がふたたび減少局面にはいる。10年すこしかけて、120万人であったものが90万人、ことによったら80万人になる。大学の学生定員も、教員定員も減る。本省はすでに圧力をかけている。状況はきびしいが、そういったなかで若い世代がたのもしくみえるのは、救いである。

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2016.12.05

マルグレイブ『近代建築理論全史』

丸善出版の企画・編集部よりおくっていただきました。ありがとうございます。

これは有名なWEB建築サイトで書評を書くことになったので、送られてきたものである。だから、いずれくわしく書くので、ここであれこれ論考するわけにもいかない。

そこで建築「理論」についてだけ、考えていることを書く。一般的に建築史研究者が理論を分析するとき、よくあるのが、理論と作品がどのくらい一致するかどうかを調べることである。言行一致を計測するためか、物理学のように理論値と実測値のずれにより理論の妥当性を計測するためであるかのようである。ぼくは、これは端的にナンセンスだと思う。建築の場合、理論はそんなもののためにあるのではない。

すなわち実際に仕事をやってみればわかるが、建築は妥協の芸術であり、ピュアではなく雑音が多い。極論すれば、建築は矛盾をかかえ、のたうちまわるようにして制作されたものほど、じつは建築として迫力があり、それこそ建築のように思えるといった、パラドクスさえある。ましてや多産な建築家なら、思想家が思想を貫徹させるような、一貫した理論をもつことは、きわめて希である。では、それはどういうことか。

つまり建築にとって、理論も、作品である。作品のひとつの形態である。理論と作品は、矛盾する傾向があるばかりではなく、作品とは連動しながらも、べつの、独立した次元を形成することにこそ、理論の意味がある。建築家が、他者の介入により、作品を設計してゆく場合、その支配率は、50%、60%、30%であったりする。ではときに99%に純度を上げてみたいとき、現実の建設材料をつかわない、言語による理論を作品として制作するのである。言葉の建築、である。

つまり作品から乖離しているからこそ、理論には存在意義がある。

であれば、本書のような、建築理論が書かれていった歴史を、回顧し、俯瞰し、ひとつの歴史観においてまとめようとするのも、べつの次元のひとつの理論であろう。いや、そういう理論であるべきだ、あるはずだ、ということをいいたい。すなわちその次元においても、理論、あるいは思想性はあるかないか、あるとすればどうか、である。

ぼく自身の歴史観からすると、建築史、とくに西洋建築史は、建築書が書かれていった歴史であるとどうじに、それらが読まれていった歴史である。ときに建築書のまさに歴史的意義は、いかに読まれたか、いかに事後的に意味が付加されていったかによることも大きい。そういう意味で、本書をひとつの事例として読んでみることは面白そうである。

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